あなたにできることがあったはず。
「御霊を消してはいけません。」テサロニケ人への手紙 第一5章19節
勇気出して手を伸ばすことよりも、何もせずその場と時間が過ぎ去ることを願う。
あなたにできることがあったはず。
WHAT'S UP(調子はどう?)
「ですから、私たちは機会があるうちに、すべての人に、特に信仰の家族に善を行いましょう。」ガラテヤ人への手紙6章10節
しばらく会っていない人が増えてきた。電話をしてみよう。メールをしてみよう。
思い切って会いに行ってみよう。
あなたの代わりはいない
「神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。罪人たち、手をきよめなさい。二心の者たち、心を清めなさい。」
ヤコブの手紙 4章8節
神の前に静まろう。
神はあなたが時間を取って向き合うことを待っておられる。
あなたの代わりはいない。
現実逃避
【主】に私は身を避ける。
どうして、あなたたちは私のたましいに言うのか。
「鳥のように、 おまえたちの山に飛んで行け。
(Psalms 11:1 SHINKAI)
「主に身を避ける」。これって現実逃避?
いや
「鳥のように自分たちの山に飛んで行く」
これこそ、現実逃避。
それは、自分で考えた自分の「安全」に身を寄せること。
見て見ぬ振り、触らぬ神に祟りなし。
何もしない、関わらない、知らないふりをする。
それこそ私の安全?
じゃないだろう。
「ひきょう者にならないで、わたしに付いてきなさい」と主は言われる。
そうやって信仰者は主の側に身を寄せる。
そういう者に、私はなりたいなァ。
マネージャーはいらない。
突然ですが、私はAppleMusicを利用しています。
最新の曲や、欧米の讃美歌が結構聴けるので重宝しています。
が、
どうも気に入らない。
私はこの音楽ストリーミングサービスをうまく利用しながら気に入らない。
音楽の作り手と聴き手との間に「マネージャー」が入ってくる。
この「マネージャー」は契約を止めれば、聴いている曲を根こそぎ持ち去ってしまう。
作る者と聴く者との本質的な関係が、そこにはない。
ではその「本質的な関係」とは何んだろう?
単に売る側と買う側の関係?それは違うと思う。
作り手のが送り出す世界を、私が受け止め、浸る。そこに活力、癒し、慰め、励まし、解放、啓蒙が生まれる。私はそれを望んでいる。
ならば「マネージャー」が仲介しても構わないはずだが。
でもこいつはけっこうな権力を持っていて、彼の都合によって曲がいつでも持ち去られてしまう漠然とした「不安定さ」を私に与える。
iPhoneにDLしても、いつのまにか雲マークになっている苛立ち。そしてまた取り返すことの繰り返し。
世界が配信されてはこっそり持ち逃げされる。
このマネージャーは世界が「あなたのものではない」という現実を繰り返し突きつける。その世界の所有権は、あなたには無いという現実を繰り返し突きつける。
私が契約したいのは「マネージャー」とではなく、作り手とである。どっか行けよマネージャー。
そもそもあの雲マークは一体何なのだ。脅しか。