どうでもいい人
大学生の頃、仲間内でこんな言葉が流行ったことがある。
ある女子が言う。
「山口さんていい人ね。斉藤さんもとってもいい人ね。2人合わせて、どうでもいい人ね」
どういう意味かって?
忘れた笑。
おそらく、平均的な良い人よりも、何か強烈な個性を放っている人の方が魅力的、そんな意味だったように思う。
でもそーゆー強烈な個性とは、平均的な良い人よりも欠点だらけで、人を傷つけてしまうことだって少なくない。
でもその人の良いところは強烈に光る。
人に対しても自分自身に対しても、欠点ばかりに目がいって、つまらない人間のように見てしまってないか。
人のある部分だけを見ない。
全体を見る。
その人が生きてきた10数年間も想像してみる。
そうやってやっと1割ぐらいはその人を理解できる。
"自分は何かを知っていると思う人がいたら、その人は、知るべきほどのことをまだ知らないのです。"
コリント人への手紙 第一 8章2節
牧師
今度の日曜日は中学生高校生のための歓迎礼拝があります。昼ご飯付き。
みんな来てね。
息を吸って、神の恵みを思い起こす。
"敵は私のたましいを追いつめ
私のいのちを地に打ちつけ
死んで久しい者のように私を闇にとどめます。
それゆえ私の霊は私のうちで衰え果て
心は私の中で荒れすさんでしまいました。"
(詩篇 143篇3~4節)
私を追いつめるもの。
締切り、決断できない、過去の失敗、一方的な責め、不完全、見えない明日、そして不信仰。
私が手でつかみたいものはすべて、指の間をすり抜けていった。
神の摂理(全ては神の良き計画によって動いているということ)が見えない。
闇の中。
そういう時は、静かにせよ。
感情任せに大きな声を出すな。苦痛に押しつぶされるな。過呼吸になるな。
息を吸って、一人で神のみわざを思い起こせ。
その恵みに包まれよう。
逃げよう。自分の霊を守るために。
次の道は必ず示される。
どうぞ、お手柔らかにしてください。
「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と言われました。ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。
コリント人への手紙 第二 12章9節
神は人が高慢にならないためにからだに「棘」を与えることがある。
その棘とは病気、孤独、環境への不適応というような思いもよらなかった弱さ。
でも弱くなった時にこそ、「わたしの力は弱さのうちに完全に現れる」と主イエスは言われた。
その主イエスの力が傲慢、慢心、自己中心といった罪をあなたから締め出してくださる。
でも主イエスよ、どうかお手柔らかにしてください。
あなたは人が潰れる寸前まで、徹底的にやられますから。