僕はいやだ。
今回大不評と言われている「スターウォーズ・最後のジェダイ」。
このシリーズのテーマは勧善懲悪(善を勧めて悪を懲らしめる)で一貫していた。
でも今回は「善と悪」という言葉が影を潜めて「光と闇」というイメージに置き換わっているという。
聖書の中では「光と闇」は間違いなく「善と悪」を象徴するイメージだろう。
でも、なんかそうともいえなくなってくるのがこのシリーズの映画。
まず第一に、共和国側も帝国軍側もどっちもどっちということだ。スピンオフの映画「ローグワン」の主人公ジンに言わせれば、それぞれの義を振りかざしているだけだと。彼女はどちらも信用せず、ただ父の愛に応えて行動する。
第二に、善を代表する正義の集団「ジェダイ」もひどい過ちを犯す。傲慢なジェダイを諌めない。仲間を信頼しない。自己過信、権威主義、評議会まかせ。最後のジェダイのルークは孤島に引きこもる。
第三には、善とか悪とか関係なく、皆自分の思い通りに行動し始めている。悪を悪として評価しないのだ。
だから、「善と悪」は「光と闇」に置き換えられ、その区別がいくらでも曖昧にされる。
結論、ディズニー化するスターウォーズ。どうしてDなんかに売ったの、ルーカスさん。
ジェダイもシスも「ありの、ままの、姿を見せるのよ♩」が一番魅力溢れるように設定されている。
僕はいやだ。
「光の住む所への道はどこか。闇のあるその場所はどこか。
光をその国境まで連れて行くというのか。闇の家に至る通りを見分けるというのか。」
ヨブ記 38章19~20節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
ひとつになる。
父なる神から大切な使命を受けたイエスさま。
父なる神とひとつとなって歩む。
地上にいても、父なる神ととても親密、仲が良く、お互いを信頼し切っている。
私たちはそれを知らされた。神とイエスはひとつだ。とても深いところでひとつとなっている。
人間はどうやってひとつになるのだろう。
それは調整と妥協とタイミングの芸術。おそらく様々な不満がくすぶりながら。かたちだけは何とか整える。
教会はどうやってひとつになるのだろう。
イエスが父なる神から遣わされて、愛の関係で結ばれていることにすべてのキリスト教会は同意するだろう。
しかし、神の介入がなければ、個々の教会も、世界の教会もひとつにはならない。
それは教会の祈り、福音宣教の賜物として起こってくれればとねがっているわけで。
"正しい父よ。この世はあなたを知りませんが、わたしはあなたを知っています。また、この人々は、あなたがわたしを遣わされたことを知っています。"
ヨハネの福音書 17章25節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会