見たことのない神を見る。
最初に愛してくださったのは神。私たちではない。
そしてキリストが十字架で私たちの罪にために死なれた時、そこにこそ、神の愛があるとヨハネは言った(10節)。
キリスト者が互いに愛し合うとは、受け取ったその神の愛を、横に流していくこと。
そこには、いざというときの、自己犠牲を含んでいる。
人は愛する者のためには自分をゆずる。たとえ命さえも。
では、別に好きではない人のために、自分の命をゆずることをするか。
それがなされた時、人々は見たことのない神を見ることになる。
"いまだかつて神を見た者はいません。私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにとどまり、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。"
ヨハネの手紙 第一 4章12節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
恐れを生まない愛
人を愛しはじめると、裏切られる時の恐れが始まる。
愛が強まると離れている時の不安が大きくなる。
別れる時の悲しみが今から自分を打ちのめす。
そして自分が傷つくならはもう「愛」はいらないとさえ思ってしまう。
それは「愛すること」に何かが欠けているからだ、とヨハネは言う。
私は、神に愛されているなら、もう神の罰への恐れはない(ただし、それは何をしてもよいことを意味しない)。
神がまず私を愛してくださった。
私はそれを信じた。
だからこそ、一切の恐れなく「私は愛しています」と言う。
「愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。恐れには罰が伴い、恐れる者は、愛において全きものとなっていないのです。私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。」
ヨハネの手紙 第一 4章18~19節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
あなたの手を握る
神は、世界をどのようにして変えようとされているのかな。
今、世は真実よりも権力を守ることが優先されている。
戦いの血で莫大な利益を得ようとする人々に、私たちも巻き込まれつつある。
しかし神は、あなたの手を握る。
あなたに守りを与え、約束した通り光として世に遣わす。
あなたは隠されていた真実が見える。
神は、「権力と利益」という闇の牢獄から、私たちを救い出してくださる。
神はむしろ弱い人々を通して世界を変えようとされる。
「わたし、主は、義をもってあなたを召し、
あなたの手を握る。
あなたを見守り、
あなたを民の契約として、国々の光とする。
こうして、見えない目を開き、
囚人を牢獄から、
闇の中に住む者たちを獄屋から連れ出す。
(イザヤ書42章6、7節) 聖書新改訳2017
あなたは、あなたの人生を愛していますか?
あなたは、これまでの自分の人生を愛しているだろうか?
ペテロは愛せなかった。
なぜ?
イエスをきっぱりと否定したからだ。
自分の命がかわいいためにイエスを裏切った。「そんな人は知らない」と証言した。しかも3度も。
「記憶によればございません」ではない。
彼はそんな失敗をした自分がユルセナイ。そんな人生など自分の計画にはなかった。
だから、ペテロはペテロの人生を愛せない。
でも、イエスは聞く「わたしを愛していますか」。
そして命令する。「わたしの羊を飼いなさい」。
それが君の新しい人生。
あなたは、あなたの人生を愛していますか?
"イエスは三度目もペテロに、「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛していますか」と言われた。ペテロは、イエスが三度目も「あなたはわたしを愛していますか」と言われたので、心を痛めてイエスに言った。「主よ、あなたはすべてをご存じです。あなたは、私があなたを愛していることを知っておられます。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を飼いなさい。"