こころパン

私は口からのパンだけでは生きられない。心にもパンが欲しい。

生きているイエスを見よ。

“もしわたしが、 わたしの父のみわざを行っていないのなら、 わたしを信じないでいなさい。しかし、 もし行っているなら、 たといわたしの言うことが信じられなくても、 わざを信用しなさい。 それは、 父がわたしにおられ、 わたしが父にいることを、 あなたがたが悟り、 また知るためです。 」”
(John 10:37–38 SHINKAI)
 
 
信仰が口先だけのことだったら、とても空しい。見よ、その信仰は死んでいる。
キリストは、何を語らずとも、その人の行いによって信仰を示しなさい、と言われる。
 
「わたしが口先だけならば、わたしを信用する必要はないね。
でも仮にわたしの言葉が信用できなくても、わたしが何をしてるか、それをしっかり見て欲しい。
そうすれば、わたしが父なる神さまと完全にいっしょに歩んでいることがわかりますよ」。
 
口先無責任男の私も、よそ見をせずに、しっかりと見よ。
自我を屈服させて、キリストと完全に一つになれるときを待ち望んでいる。
 
写真:このよそ見をしている機関車は誰だっけ?

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