恐れを生まない愛
人を愛しはじめると、裏切られる時の恐れが始まる。
愛が強まると離れている時の不安が大きくなる。
別れる時の悲しみが今から自分を打ちのめす。
そして自分が傷つくならはもう「愛」はいらないとさえ思ってしまう。
それは「愛すること」に何かが欠けているからだ、とヨハネは言う。
私は、神に愛されているなら、もう神の罰への恐れはない(ただし、それは何をしてもよいことを意味しない)。
神がまず私を愛してくださった。
私はそれを信じた。
だからこそ、一切の恐れなく「私は愛しています」と言う。
「愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。恐れには罰が伴い、恐れる者は、愛において全きものとなっていないのです。私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。」
ヨハネの手紙 第一 4章18~19節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
あなたの手を握る
神は、世界をどのようにして変えようとされているのかな。
今、世は真実よりも権力を守ることが優先されている。
戦いの血で莫大な利益を得ようとする人々に、私たちも巻き込まれつつある。
しかし神は、あなたの手を握る。
あなたに守りを与え、約束した通り光として世に遣わす。
あなたは隠されていた真実が見える。
神は、「権力と利益」という闇の牢獄から、私たちを救い出してくださる。
神はむしろ弱い人々を通して世界を変えようとされる。
「わたし、主は、義をもってあなたを召し、
あなたの手を握る。
あなたを見守り、
あなたを民の契約として、国々の光とする。
こうして、見えない目を開き、
囚人を牢獄から、
闇の中に住む者たちを獄屋から連れ出す。
(イザヤ書42章6、7節) 聖書新改訳2017
あなたは、あなたの人生を愛していますか?
あなたは、これまでの自分の人生を愛しているだろうか?
ペテロは愛せなかった。
なぜ?
イエスをきっぱりと否定したからだ。
自分の命がかわいいためにイエスを裏切った。「そんな人は知らない」と証言した。しかも3度も。
「記憶によればございません」ではない。
彼はそんな失敗をした自分がユルセナイ。そんな人生など自分の計画にはなかった。
だから、ペテロはペテロの人生を愛せない。
でも、イエスは聞く「わたしを愛していますか」。
そして命令する。「わたしの羊を飼いなさい」。
それが君の新しい人生。
あなたは、あなたの人生を愛していますか?
"イエスは三度目もペテロに、「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛していますか」と言われた。ペテロは、イエスが三度目も「あなたはわたしを愛していますか」と言われたので、心を痛めてイエスに言った。「主よ、あなたはすべてをご存じです。あなたは、私があなたを愛していることを知っておられます。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を飼いなさい。"
世界はどこへ向かっているか。
舞台演劇のクライマックスの盛り上がりは、映画やコンサートのそれとは全然違う。
たとえば、終りにむかって舞台は照明が徐々に暗くなり、闇が全体を包む。
次の瞬間、照明が一斉に点灯される。
すべてを完結させる空間がそこに出現する。
それは全く予想もしなかった世界。
役者の言葉も音楽も美術も一体となって、これまでの物語は勝利へと向かっていたことがわかる。
「ヨハネの黙示録」の世界も同じようなものかもしれない。
キリストのことばがすべて正しかったことがわかる。
キリストは呪われた死を駆逐した神であることを知る。
そしてキリストは真の世界の王であることがわかる。
今、それを信じる者は幸いなるかな。
"また、確かな証人、死者の中から最初に生まれた方、地の王たちの支配者であるイエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにあるように。"
ヨハネの黙示録 1章5節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会