こころパン

私は口からのパンだけでは生きられない。心にもパンが欲しい。

あしたは、イースター

木曜日に、イエスさまは弟子たちの足を洗われた。

そして最後の食事を皆と取られた。

その後、ゲッセマネの園で逮捕された。

逮捕状?罪名?はない。捕まえてから考えるらしい。

しかし、罪名は見つからない。

ところがイエスさまはご自分がメシアであることを法廷で明かしたので、

罪状は「神への冒涜で死刑」ということにされた。めちゃくちゃな裁判だ。

ピラトの許可も下りた。

そして金曜日の朝9時に十字架にはりつけにされた。

午後3時ごろ、息を引き取った。

十字架から降ろされて洞穴のような墓に埋葬された。

今日土曜日、イエスさまは墓の中にいる。少なくとも、からだはそこにある。

 

今日はイエスさまの死をしみじみ思う日。

しかし、神が共にいてくださる者は、決して絶望しない。

明日、イエスさまは復活する。死からよみがえる。

そして、怖くて震えていた弟子たちのところへ突然現れる(明日はこの話をします)。
 
「平安があなたにあるように」
 

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誇る者は主を誇れ。

何かを誇る者は、たいてい自分と自分より劣る者とを比較して誇る。

比較して、落ち込んだり満足したりする時、その人間はみじめだ。

唯一の神があなたを創造した。だからあなたも世界でただ一人のあなただ。

比較するものなど、何もないじゃないか。

あなたはあなたでいい。

それを本当の意味で分からせてくれるのが、イエス・キリストだ。

 

「誇る者は主を誇れ」(Ⅱコリント10:17)

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あなたが神に近づくとき

「神へのいけにえは、砕かれた霊。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。」(詩篇51篇17節)
 
謝ったら敗北、反省したら恥、などと本気で考えている人が世の中にはいるらしい。
皆、自分のプライドや利益を守るのに必死だ。
それをあきらめるなら「死」だと考えている。
 
しかし、神は御前にあなたの恥をすべてらさすことを、
心から本気の思いをもって、あなたがあやまちを告白することを、
とても喜んでくださる。
なぜなら、それこそがあなたの心が神に近づく第一歩だから。
あなたが神の子となって、新しいいのちを今から生きる始まりだから。
 
この言葉を信じよう。
神の前に、素直になろう。
 
10月22日は10時から「歓迎!礼拝」(中高生バージョンです)。
講師はhi-b.aの水梨郁河スタッフです。
おそらく雨だろうけど、Praising in the Rainしながら来てね。

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『リーダーになりたーい?』

 「あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。 あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、みなのしもべになりなさい。」(ルカの福音書10章43-44節)
 
「偉くなりたい」と思うことは間違いじゃないんだ。
ただしそれは、皆が自分一人のために働いてくれるということではない。
「人の先に立ちたい」(リーダーになりたい)と思うこともいいんだ。
でもそれは、部下をたくさん持って偉そうに振る舞うことではない。
 
責任を持ってこれをやりたい、と思うことは素晴らしいのさ。
神の祝福は責任が集まるところにこそ、注がれる。
 
それぞれの良いところが発揮されて、全体の力となること。
そのためにあなたはどんな助けができる?
それこそがイエスがあなたに教えるリーダーの姿だ。
ひとりひとりに、愛だねー。
 
 
10月22日は白根福音教会の「歓迎!礼拝」(中学生、高校生対象)です。
ぜひきてくださいね。講師はhi-b.aの水梨スタッフです。
 

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なんて素晴らしい世界なのだろう。

ちょうどその時、ボアズはベツレヘムからやって来て刈る者たちに言った。「主があなたがたとともにおられますように。」彼らは「主があなたを祝福されますように」と答えた。
(ルツ2:4)

緑の樹が見える
赤い薔薇も見える
あなたと私のために、それは咲いている
私は思う
なんて素晴らしい世界なのだろう

青い空が見える
真っ白な雲が見える
昼は輝き、祝福されている
深遠な夜は、聖さに満ちている
私は思う
なんて素晴らしい世界なのだろう

空にはかれんな虹の色
それは行き交う人々の顔にも映える。
友達が握手をして、「初めまして」と挨拶をする
まさにそれは「私はあなたを愛します」と言っているのだ

赤ん坊の泣き声が聞こえる。私は彼らの成長を見る。
私が知るよりずっと沢山のことを、あの子たちは学んでいく。
私は思う。なんて素晴らしい世界なのだろう
そう、私は思う
なんて素晴らしい世界なのだろう。

(以上"What's a wonderful world"拙訳)


黄金色に実った麦の収穫がされている。
畑の主人が来て、働き人たちと挨拶が交わされる。
主があなたがたとともにあるように。
主があなたを祝福されますように。
なんて素晴らしい世界なのだろう。

「自分の中で、平凡の価値を見いだしていく過程は、幸福が成長していく証しである。」

牧師

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神は愛、私の愛は空。

“私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。 神は愛です。 愛のうちにいる者は神のうちにおり、 神もその人のうちにおられます。”
(1 John 4:16 SHINKAI)
 
主イエスは私たちを助けるために、自らのいのちを犠牲にされた。
父なる神が人類に下す刑罰を、御子キリストが身代わりとなって受けられた。
キリストは、卑しい一人の罪人として処刑された。
主イエスは十字架で神に見捨てられ、息を引き取り、私たちは刑を免れた。
 
主イエスは死体となって墓に葬られた。三日間、死は彼を包んだ。
 
しかし、三日後に主イエスはからだをもって、死からよみがえられた。
私たちが刑を免れるだけでなく、私たちが神の子として再出発するために。
そしてその新しく生きる者は、死にも勝利する神の力を得ていることを示すために。
 
これらの出来事のうちに、神が愛であることが示されている。
「神は愛です」だから私たちは生きている。
 
私はこの方の愛がほしい。とてもほしい。もっともっと気前よく分けてほしい。注いでほしい。
なぜなら、私の愛は空っぽだからだ。

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イエスがそのような生き方をされたから。

…もしあなたが左に行けば、私は右に行こう。もしあなたが右に行けば、私は左に行こう。
 (Gen 13:9c )
 
 
私たちは権利を持っている。
自分のために、自分が生きたい道を生きることができる。
自分が得たいものを努力して掴むこともできる。
右にいくと主張することもできるし、左はいやだとごねることもできる。
 
さらに、こういうこともできる。
つかんだものををあえて手放す。愛する者たちが生きるために。
自主的に、自分から身を引く。関係を壊さないために。愛する人を守るために。
あなたが左に行くなら、ぼくは右にするよ、と相手を優先することもできる。
自分が損をする道をあえて選ぶことがある。
 
それは、自分の気が弱いからではない。
周りへの気遣いでもない。
 
エスがそのような生き方をされたから。
エスが十字架に歩まれたのは、まさに自分のための道ではなく、神のための道を選んだからだ。
そしてその選択は、今、世界で20億人の人生を救っている。

 

写真:教会から歩いて10分ほどの遊歩道。吊り橋もある。f:id:Yattomo:20171010134536p:plain