こころパン

私は口からのパンだけでは生きられない。心にもパンが欲しい。

みことばがかり

“みことばを宣べ伝えなさい。 時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。 寛容を尽くし、 絶えず教えながら、 責め、 戒め、 また勧めなさい。”
(2 Timothy 4:2 SHINKAI)
 
教会には、実はいろんな委員や係りがあります。
伝道委員、交わり委員、聖餐係など、教会によって名前は違いますが色々あります。
 
牧師は「みことばがかり」です。
 
係の務めはしっかりやらなくてはいけません。
神さまの愛によって、あなたが変えられるように、
あなたがみことばを信じて行うことができるように、
神さまを賛美する力が豊かに与えられるように、
牧師は皆さんを「放牧」しながら、聖書を武器に、いろんな助けをします。
 
ぜひご利用ください。

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隣人ファースト

“イエスを告白しない霊はどれ一つとして神から出たものではありません。 それは反キリストの霊です。 あなたがたはそれが来ることを聞いていたのですが、 今それが世に来ているのです。”
(1 John 4:3 SHINKAI)
 
 「あなたが幸せにならなければ、私も幸せにはなれない」と共に困難を乗り越えて歩もうとする人は、「隣人ファースト」の人だ。こういう考えと行動には、困難はあるが、賛成できる。
 
「自分だけが幸せになればいい、他の人には関心がない」という人は「自分ファースト」の人だ。それはちょっと賛成できない。
その人がそのまま政治家になったならばその人は「反キリスト」にとても近い。
 
彼はいつの時代にも、今現在でもこの世界に来ていることを忘れてはならない。
 
「隣人ファースト」の人を見分ける目を、神さまからいただこう。f:id:Yattomo:20161205152247j:plain

なぜイエスは王家の家に生まれなかったのだろう。

“その子はすぐれた者となり、 いと高き方の子と呼ばれます。 また、 神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります。彼はとこしえにヤコブの家を治め、 その国は終わることがありません。」”
(Luke 1:32–33 SHINKAI)
 
※「その子」=これから生まれてくる幼子イエス・キリスト
 
主イエスは、生まれる前から、永遠の王となり、終わることのない国を治められることが約束されている。
そのような強い者(主イエス)は、小さな赤ちゃんとなって、貧しく、若いけど、頼りない者たち(マリヤとヨセフ)に守られて生きることを選ばれた。
 
なぜイエス様は王家の家に生まれることを選ばなかったのだろう。
そうすれば飼い葉桶で生まれることもなかったのに。
貧しい子ども時代を送ることもなかったのに。
 
イエスさまが貧しい家族で生まれたのは、全てに神の力が働いて、人々が「神は素晴らしい」と神をほめたたえるためだ。
 
王家の権力と金をバックに福音を説いても、人々はそれを高い教育のためと考えただろう。
あちこち宣教のために旅行をしても、それはお金がたくさんあったからと思うだろう。
お金目当てに強欲な人たちがたくさん近づいてくるだろう。
 
貧しい者こそが、ダビデの王位を与えられ、世界中の弱き者の王、終わることない国の王となる。
 
わたしは信頼するよ、この王イエス・キリストを。

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恵みによって強くなれ。

“そこで、 わが子よ。 キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい。”
(2 Timothy 2:1 SHINKAI)
 
主イエスは、人それぞれに色々なご計画を持っていて、そこに私たちを招く。
私たちにはそのご計画の中で、例えば志望校に入ったとか、あの人と結婚したとかいう出来事が起こる。
逆に志望校に落ちたとか、結婚寸前まで行ったのに別れた、という出来事もまた起こる。
 
では、これらが全部神の恵みと計画による、って言ったらどう思う?
不合格も失恋も恵み??冗談じゃない!!!
 
あなたがそのような起こってほしくない出来事によって、
より強くなるのなら、
より悲しみのわかる人になるなら、
それは恵みだ。
もっともそれがわかるまでちょっと辛いけど。

 

良い出来事も恵みだ。

でも違ったご計画の中に置かれている人のことを忘れてはならない。
 
私たちの目的はキリストを喜ばせること。
私たちは結果によって一喜一憂する。
でもイエスさまが喜ぶのは、結果ではなく、あなたがどのように生きたか、ではないかな。
「恵みによって強くなる」には時間かかるよね。
でも、イエスさまは喜んでくださる。
 
(恵み?によって動いているiPhone

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期待にあふれて。

“あなたの道を【主】にゆだねよ。 主に信頼せよ。 主が成し遂げてくださる。”
(Psalms 37:5 SHINKAI)
 
努力は良いことだ。
努力するならば、結果となって表れることを皆望んでいる。
 
でもある人々は努力が実らないことを極度に恐れる。
その恐怖を吹き飛ばそうとさらに努力する。
 
そういう努力はやめよう。とっても疲れるよ。
 
主(神)の導きにある努力ならば、そこに心配や恐怖はない。
たとえ結果がどうであろうとも、その努力は必ずあなたの宝となり、主の計画はますます明らかになる。
 
あなたがどこへ進もうとしているのか。
 
主に信頼するならば、主がそれを示してくださり、あなたの努力は期待にあふれたものとなる。

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キリストにある成人

“私たちは、 このキリストを宣べ伝え、 知恵を尽くして、 あらゆる人を戒め、 あらゆる人を教えています。 それは、 すべての人を、 キリストにある成人として立たせるためです。”
(Colossians 1:28 SHINKAI)

 

「おとなってきたない」


2013年夏「半沢直樹」を観たときの長女の言葉。
その長女も先日、成人式を迎えた。おとなになった。

皆、いつか大人になる。きれいでもきたなくても。

でもせっかくなら、せめて「きたなくない」おとなになりたい。
では「キリストにある成人」とはどんな大人だろうか?

「キリストにある成人」とは年齢でなるものじゃない。心がすっかりキリストに向いている人のことだ。

その人はキリストが大好きで、他の何よりもキリストのことばを聞くことを愛していて、キリストの後をついていくことに一番関心があり、キリストのようになりたいと願っている。

「無理無理無理」と皆思うかもしれない。

その通り。イエスさまがもう一度来られるまではね。

でも、神さまの力によってあなたが一歩踏み出すならば、僕はその人こそ「キリストにある成人」じゃないかな、と思う。

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愛されながら成長するって、なんて素敵なんだろう。

“  イエスはますます知恵が進み、 背たけも大きくなり、 神と人とに愛された。”
(Luke 2:52 SHINKAI)
 
小学生から中学生にかけての頃、僕は嫌な奴だったと思う。
なまじ頭が良かったので。
自分の学力を見せびらかしたい優越感と、わからない友だちに教えたいという親切心の区別がつかなかった。
とても人から愛されるようなガキではなかった。
 
「神と人に(子どもの頃から)愛された」というイエスさまに少し嫉妬する。
 
そこにはヨセフとマリアの子育てがあった。
小さな頃から、父なる神に「愛されていること」を体験しながら育った。
そうやってイエスさまは「成長」した。
愛されながら成長するって、なんて素敵なんだろう。
 
人は皆このような小さなイエスさまのように成長しますように。

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