こころパン

私は口からのパンだけでは生きられない。心にもパンが欲しい。

聖なる片思い

“私たちが神を愛したのではなく、 神が私たちを愛し、 私たちの罪のために、 なだめの供え物としての御子を遣わされました。 ここに愛があるのです。”
(1 John 4:10 SHINKAI)
 
片思いの切なさ、私はもう忘れている。しかし、思い出してみる。
しっかり思い出す。
遠くから見るしかない。
近づいても話しかけられない。
軽くあしらわれる。
私はこんなに注目しているのに、あなたはこっちを見てくれない。
今で言えばストーカーかも。
 
神さまも同じ。
私には神さまが見えない。
しかし神さまはいつも私を見てくれている。私を守り、励ます。
しかし私は気がつかない。
偉大な、聖なる片思い。
私が先に愛したのではない。私が選んだのではない。
神が先に愛してくださり、私を選んだ。
 
写真:夏の思い出3「島猫」

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こわしてください。

“【主】は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、 霊の砕かれた者を救われる。”
(Psalms 34:18 SHINKAI)
 
「私は間違っていないよ」と言いながら、心の奥でもう一人の「あやしいじぶん」がじっと私を見つめている。
わかりながら、「正しい」と主張することをやめない。
押し通せば勝ちだと思っている。
 
いちど壊れてしまえ、私のこころ。
壊してください、私のこころ。
 
写真:夏2017「江ノ島

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私にあるものをあげよう。

“金銀は私にはない。 しかし、 私にあるものを上げよう。 ナザレのイエス・キリストの名によって、 歩きなさい」”
(Acts 3:6 SHINKAI)
 
お金がなくても、持っているものがあります。
それは見えない、さわれない、つかめないけど、確かに持っています。
 
それは、イエス・キリストへの信頼、または関心、興味。
 
エスさまへの「信頼」は、友人にプレゼントすることもできます。
それは何度でも立ち上がって歩き出す力です。
あなたも立ち上がり、友だちも一緒に立ち上がります。
 
写真:夏の思い出1

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愛は学ぶもの。

“私は祈っています。 あなたがたの愛が真の知識とあらゆる識別力によって、 いよいよ豊かになり、あなたがたが、 真にすぐれたものを見分けることができるようになりますように。”
(Philippians 1:9–10 SHINKAI)
 
あなたの「愛」が豊かになるためにはどうしたらいいだろうか?
 
多くの人に親切にする?
友達ともっと深い話をする?
今日のみことばが言うのは「愛は学ぶもの」だと言うこと。
 
ではどうやって学ぶ?
多くの偉人から?
最近付き合い始めた人から?
それとも、自分の心の奥深くを探る?つまり自分から学ぶ?
のでもない。
 
あなたの「愛」が豊かになるために、あなたはイエス・キリストのことばから学ぶのです。

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ぜんぶ、失敗かもしれないけど。

主はあなたに告げられた。
人よ。 何が良いことなのか。
【主】は何をあなたに求めておられるのか。
それは、 ただ公義を行い、 誠実を愛し、
へりくだって
あなたの神とともに歩むことではないか。
旧約聖書・ミカ6章8節)
 
あなたが神さまに感謝したいのならば、どうする?
神さまが唯一望むプレゼント、それはあなた自身の心。
その心は、神が示す正しいことを行い、
思いやりのあるふるまいを愛し、
何かが人よりすごいからと言って、うぬぼれることない心。
 
そして私は、以上のこと全部失敗するかもしれないけど、神さまは私にあきれることはなく、やり直させてくださることを信じて歩んでいる。

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乾いたサンドウィッチ。

一切れのかわいたパンがあって、平和であるのは、  
ごちそうと争いに満ちた家にまさる。”
(Proverbs 17:1 SHINKAI)
 
 
幸せなパンと、豪華でも殺伐とした食卓。
笑いながら食べる焼きそばと、会話のないフレンチフルコース。
 
私は、乾いたサンドウィッチがけっこう好きですが何か。

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1944年8月4日

「【主】をほめ歌え。主はすばらしいことをされた。これを、 全世界に知らせよ。」旧約聖書イザヤ書12章5節)
 
アンネ・フランクの日記は、1944年8月1日で終わっています。
そして、ちょうど73年前の今日1994年8月4日、アンネとその家族8人はゲシュタポドイツ国家秘密警察)によって捕らえられました。一家アウシュビッツに送られ、その後マルゴーとアンネの姉妹はベルゲン=ベンゼル強制収容所に移され、翌年、2〜3月に亡くなりました。唯一生き残ったのは父親一人だけでした。
アンネの日記」は彼女の13から15歳にかけての出来事が書かれています。当時のユダヤ人迫害下における<隠れ家>での生活はもとより、多感な年頃の好き嫌い、親に対する嫌悪感と愛情、怒りなどが書かれています。
アンネが殺されたのは、間違いなくナチズムの罪によるものです。それは間違いありません。同時に、人間の人種差別と残忍さは、かくも恐ろしい虐殺を組織的に行うのです。
神がこの少女を通して何をなそうとされたのか、私にはわかりません。
しかし、その犠牲となった少女の日記は、協力者によって保管され、生還した父親に引き渡され、世界中の人々に読み継がれるものとなったのです。
 
この夏休み、ぜひとも読んでください。
(読む場合には、必ず「増補新訂版」を読むこと。)
 
※参考:アンネ・フランク著、深町眞理子訳『アンネの日記ー増補新訂版』文藝春秋社、2003年

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