思い出さないで。
「(愛は)人のした悪を思わない。」(Ⅰコリント13:5)
人は自分が行った良いことはいつまでも心に残っているもんだ。
時々しみじみ思い出して「私っていい人だなあ」なんて味わったりする。
でも、自分が犯した失敗や過ちは、いつまでも覚えておいて欲しくないね。
「忘れて、早く」と思うもの。
「(愛は)人のした悪を思わない。」とは、人が犯した悪や過ちを「思い出さない、記録に残さない」ということ。
いつまでも覚えていて「だいたいあなたはあの時…」とは決してやらない。
愛は、人のした悪を思い出していつまでも責めることはない。
神は私たちの罪を記録に残さない。
その記録は全てキリストに付け替えられた。
そしてその非難と刑罰を代わりに受けてくださった。
人は怒る、でも…。
「(愛は)怒らず」(Ⅰコリント13:5)
犯罪を犯した者が不当な権力で不起訴になれば、誰でも怒りを覚える。
偉い人と友達だっただけで得をすれば、それは不公平だと怒る。
「いじめ」で人が死ねば、その度に怒りを覚える。
しかし、神はその怒りを別の力に変えることをされる。
憎しみを増幅させるのではなく、分派分裂を引き起こすのでもなく、
真実を愛し求め、過ちを明らかにして、やり直しの機会を与え、全体が回復していくような力に変えられる。
愛は怒ったままで行動しない。
もしも、奇跡を行えたなら。
「(愛は)自分の利益を求めない」(1コリント13:5)
もしあなたがキリストのように奇跡を行える力を持ったとしたら、まず何をする?
ハリーポッターのように、空を飛ぶ?
部屋を一瞬で片付ける?
それとも、豪雨の時、鉄砲水をせき止め、川の堤防を支える?それは素晴らしいね。
3つに1つくらいは人のためにその力を使うかな。
でも、イエス・キリストは奇跡の力を、自分のためには一切使っていないんだ。
全部、人のために用いた。
喉が渇いて空から雨を降らせることも、疲れたのでふわふわのベッドを用意することも、十字架から、自分を脱出させることもしなかった。
その力はみんな人の救いのために用いた。
「ほんとかな」と思ったら、福音書を読んでごらん。
愛は自慢しないけど。
「愛は自慢せず、高慢になりません。」(Ⅰコリント13章4節)
自慢したいときは一人で「わたし、よくやったよね」ってしみじみ言おう。
高慢は大切な友人を奪うことがある。
自分をアシストしてくれた人たちに「ありがとう」を伝えて伝えて、必ず伝えて。
牧師
愛は人をねたまない。
「(愛は)人をねたみません」(Iコリント13:4)
あの人の成功
友だちの才能
彼女の幸せ
あなたは自分のことのように喜べますか?
愛は我慢?
「愛は寛容であり、愛は親切です。」(第一コリント13章4節)
今日は教会で1時半から結婚式があります。
式では「愛についての聖書の教え」が朗読されます。それがⅠコリント13章。
愛とは何か?
まず、愛の豊かな人は辛抱強くて、苦しみを耐える人だということ。
例えばあなたが何かの部活の部長だったとする。
その中に困った新入部員がいた。やる気はあるんだけども、準備や片付けやがとても苦手のようだ。
部長のあなたは怒らず、キレず、優しく、何度も教える。
その時のあなたは、我慢強いし、親切だ。愛情深い。(ただし、胃は痛いけど)。
イエスさまもそのように私たちを辛抱強く愛してくださっている。
結婚式、皆さん観に来てください。
白根福音教会の今の会堂で行う初めての結婚式です。
これからバージンロードが敷かれます。
牧師