現金、カードでは買えない。
(Luke 12:15 SHINKAI)
私は「良い地」になる。
みんな悩んで、大きくなる。
逃げるは役に立つか。
<聖書のことば>
Luke 8:6 また、別の種は岩の上に落ち、生え出たが、水分がなかったので、枯れてしまった。
Luke 8:13 岩の上に落ちるとは、こういう人たちのことです。聞いたときには喜んでみことばを受け入れるが、根がないので、しばらくは信じていても、試練のときになると、身を引いてしまうのです。
注)「種」とは神の救いのみことばのことです。
<牧師からのことば>
残念だなあ。
信仰の醍醐味を一番深く味わえる時に、いなくなっちゃうなんて。
ねえ、そうだよねえ。もったいない。
512年前、稲光と火の玉に脅されて修道士になったルターという人がこう言っている。
「試練のなかに、どれほど大きな恵みが隠されているかを知るべきだからです。そのようなことを知ろうとする人は、ごくわずかです。そのためにかえって、大きな傷を負ってしまっているのです。」
試練の時に身を引くと(逃げると)かえって傷つくぞ。
逃げるは役に立たない。
覚悟を決めて、根を張って、隠された恵みを受けよう。
「神のことば」を取り返せ。
イエスさまに会えるところへ。
(Luke 8:4 SHINKAI)
本物と偽物の見分け方
聞いても実行しない人は、 土台なしで地面に家を建てた人に似ています。 川の水が押し寄せると、 家は一ぺんに倒れてしまい、 そのこわれ方はひどいものとなりました。 」”
(Luke 6:48–49 SHINKAI)
本物のクリスチャンと偽物のクリスチャンの見分け方。
両方とも、礼拝には必ず出席する、ちゃんとみんなの前で祈れる、奉仕も一生懸命。
外からでは見分けがつかない。大差ない。両方とも本物に見える。
ではどうやって見分けるのか。
それは、みことばを実行しているかどうかだ。
礼拝でみことばを聞いて、それを自宅でも、学校、職場でも実行しているかだ。
聞いても実行していない人の信仰は、「洪水」(試練)の時にそのもろさがわかる。
偽物は、試練にうろたえ、悲しみ、神を呪いさえするようになる。
その変わりようはひどい。
しかし本物の信仰はビクともしない。
みことばを聞いて、
人に対して誇るためではなく、主ご自身の喜びのために、生きる。
人には見えない生活全般にまで、心の隅まで、神の民にふさわしくなりますように。