こころパン

聖書と、たわむれる時。

どんな心の私にでも届く声がある。

「(愛は)すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます」(Ⅰコリント13:7)
 
 
私は、すべてに我慢されている。私は耐え忍ばれている。
しかし、私はすべてにおいて信じられている。すべてにおいて期待されている。
それに応えることのできる保証なんか私にはどこにもないのに。
 
愛は、私を急がせず、苛立たせず、追い詰めず、これっぽっちも責めず、重荷を負わせない。
しかし、何かを始めさせる力、やめさせる力、植える力、引き抜く力、達成させる力、諦めさせる力がそこにある。
 
成長するとか、前に進むとか、そういうことがとにかくダルくなった時でも、私の心に届く声がそこにある。
 
あまりうまく言えない。

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