神を「見る」方法。
「ところが、見聞きしているように、あのパウロが、手で造った物は神ではないと言って、エペソだけでなく、アジアのほぼ全域にわたって、大勢の人々を説き伏せ、迷わせてしまいました。」使徒の働き19章26節 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
話しているのはエペソという町の銀細工職人。彼らは神殿の模型を造って生計を立てていた。そこにキリストの使徒パウロが来て、
「手で造った物は神ではない」
と人々に教えた。
職人たちは怒った。商品を買ってもらえなくなれば商売ができない。
偶像礼拝(神ではないものを神のように崇める行為)は、少なからず利権と絡んでいる良い例だ。
神の本質(変わることのない本来の性質のこと)は、物質にはない。
それは決して目には見えない。つかめず、触れない。
でも、人間は目に見えなければ不安だ。
どうやって、目に見えない本当の神の心に「触れる」ことができるのか。
それは「ことば」によってだ。
「ことば」の力をあなたはよく知っているだろう。こんなブログまで読むのだから。
聖書のことばによって、私たちは神を見る(理解する)。力を与えられ、平安をいただく。
お守りやパワーストーンで「安心」を買っている人には余計なお世話だろうが、本来は「気休め」であることを自覚なさっているならば、ぜひ聖書を読んでほしい。