こころパン

私は口からのパンだけでは生きられない。心にもパンが欲しい。

苦しみから救われるか、苦しみの中で恵まれるか。

聖書
彼女は主人に、このように告げた。
「あなたが私たちのところに連れて来た、あのヘブル人の奴隷は、私にいたずらをしようとして私のところに入って来ました。私が声をあげて叫んだので、あの男は私のそばに上着を残して、外へ逃げました。」…
ヨセフの主人は彼を捕らえ、王の囚人が監禁されている監獄に彼を入れた。こうして彼は監獄に置かれた。
しかし、主はヨセフとともにおられ、彼に恵みを施し、監獄の長の心にかなうようにされた。
(創世記39章17、18、20、21節)
 
 「彼女」とは主人ポティファルの妻。彼女の話は全くのデタラメ。
ヨセフを誘惑しようとしたのは彼女自身だ。ヨセフは無実の罪を着せられて、監獄に入れられてしまう。
なぜ神は無実なヨセフを、投獄から守らないのか。
そうではなく、なぜ監獄の中で「主はヨセフとともにおられ、彼に恵みを施し」たという寄り添い方を選ぶのだろうか。
 その答えは今日は言わない。
 ただ、あなたが信仰のゆえに理不尽な扱いを受けて苦しむなら、神は確実にあなたとともにおられて、その意味を後に悟らせてくださる。
そして、それはあなたの人生の大きな益となる。

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