聖なる片思い
“私たちが神を愛したのではなく、 神が私たちを愛し、 私たちの罪のために、 なだめの供え物としての御子を遣わされました。 ここに愛があるのです。”
(1 John 4:10 SHINKAI)
片思いの切なさ、私はもう忘れている。しかし、思い出してみる。
しっかり思い出す。
遠くから見るしかない。
近づいても話しかけられない。
軽くあしらわれる。
私はこんなに注目しているのに、あなたはこっちを見てくれない。
今で言えばストーカーかも。
神さまも同じ。
私には神さまが見えない。
しかし神さまはいつも私を見てくれている。私を守り、励ます。
しかし私は気がつかない。
偉大な、聖なる片思い。
私が先に愛したのではない。私が選んだのではない。
神が先に愛してくださり、私を選んだ。
写真:夏の思い出3「島猫」