こころパン

私は口からのパンだけでは生きられない。心にもパンが欲しい。

「収穫」を期待して

「彼らがその地の産物を食べた翌日から、マナ※の降ることはやみ、イスラエル人には、もうマナはなかった。それで、彼らはその年のうちにカナンの地で収穫した物を食べた。」
(ヨシュア記5章12節)

 

 マナが降らなくなって神さまからの恵みは終わってしまったのだろうか?

そうじゃない。

恵みは「収穫」に形を変えて続いている。労働に実りが生まれ、彼らは恵みに生かされ続ける。

例えば主日礼拝の時、聖日の一日、現代の「マナ」が降り注ぐ。

そこから私たちは出発する。

学校や会社で、家庭で私たちは「収穫」を期待して、神と共に働こう。

(2016年7月21日)

※マナ=神さまが荒野でイスラエルを養うため、天から降らせた不思議な食べ物

(写真は釜石名産の甲子柿(かっしがき)。2011年釜石新生教会でいただきました。)

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