こころパン

私は口からのパンだけでは生きられない。心にもパンが欲しい。

25年目の誓約。

キリストの平和が、 あなたがたの心を支配するようにしなさい。 そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。 また、 感謝の心を持つ人になりなさい。
(Colossians 3:15 SHINKAI)

 
ちょうど25年前の今日、僕たちは結婚式を挙げた。
僕が結婚を決心した理由の中に、このみことばがあった。
 
デートの時、一緒にいて沈黙が気にならなかった。無理に場を盛り上げようとする戦略も気遣いも必要なかった。ただ平安だった。
クリスチャンになったばかりで聖書に無知だった私は、これを「キリストの平和(キリストが下さった平和)」と勝手に解釈した。「そのためにこそあなたがたも召されて」で、いよいよ盛り上がって結婚した。
でも、キリストと教会の関係は、夫と妻との関係によく例えられるのであながち間違いではなかったかも。
 
当時、私の師であるM先生に話したら「みことばよりも、あなたが責任を持って決めなさい」とニコッと笑った。
その時から私たちの「キリストの平和」が始まった。
 
25年経って、まさか牧師に召されるとは想定外であったが、当時の平安は今も変わらない。
相方が幸せになるために、私がある。今もそう宣言する。
健やかな時、満たされる時、平穏な時はもちろん、
病める時も、貧しい時も、迫害の時も、私たちは平安であり一つである。
キリストにあって。

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