こころパン

私は口からのパンだけでは生きられない。心にもパンが欲しい。

神を喜ぶ時。

「こうして、彼らはその日、数多くのいけにえをささげて喜び歌った。神が彼らを大いに喜ばせてくださったからである。女も子どもも喜び歌ったので、エルサレムの喜びの声ははるか遠くまで聞こえた。」 (ネヘミヤ12:43)


「そんなことをしたら、バチが当たるよ」(バチ=罰)。

子どもの頃、神さまはぼくの監視者だった。悪さをしないかどうか、遠くから双眼鏡をのぞいて見張っていた。

でも今「神が私たちを喜ばせて」くださることを知っている。信じて付いて行くことから外れないために、痛い目に会うこともあるけどね。

そして私たちが神を喜ぶ時、その声は孤独な人、絶望にある人、死の床にある人、あらゆる遠くにいる人々にも届いて行く。

(2016年6月25日)