こころパン

私は口からのパンだけでは生きられない。心にもパンが欲しい。

「枝」と「接ぎ木」の会話

もしも、 枝の中のあるものが折られて、 野生種のオリーブであるあなたがその枝に混じってつがれ、 そしてオリーブの根の豊かな養分をともに受けているのだとしたら、あなたはその枝に対して誇ってはいけません。 誇ったとしても、 あなたが根をささえているのではなく、 根があなたをささえているのです。
(Romans 11:17–18 SHINKAI)

 「あれ、君いつからそこにいる?」

「たった今、ここに接ぎ木されました。よろしく!」
「そこ、おれの友達がいたんだけど」
「え?」
「いやあ、また折られちゃたね」
「あらら」
「あいつ『今さら野生種と一緒に暮らせるか』って言ってたら」
「ばっさり?」
「そう、ばっさり」
「何で?」
「ん?」
「あんたたちは、昔からの枝でしょう。この木のことをぼくたちよりずっとよく知っていたはずなのに」
「おれはさ『この木だよ、ここから養分もらって実を結ぶために生えたんだよ俺たちは』って散々言ったんだ。でもあいつらは『これはもう俺たちの木じゃない』って」
「信じらんない」
「でも君たちは信じた!あいつらは不信仰によって折られ、君たちは信仰によって接ぎ木されたというわけだ」
「その通り!後のものが先になりました。もうこの木は僕たちのもの!」
「なめんなよ」
「‥」
「『根』だよ。『根』のおかげで俺たちは生きてんだよ。」
 
緞帳下がる

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