こころパン

私は口からのパンだけでは生きられない。心にもパンが欲しい。

でも、おことばですので。

話が終わると(イエスは)シモンに言われた。「深みに漕ぎ出し、網を下ろして魚を捕りなさい。」すると、シモンが答えた。「先生。私たちは夜通し働きましたが、何一つ捕れませんでした。でも、おことばですので、網を下ろしてみましょう。」そして、そのとおりにすると、おびただしい数の魚が入り、網が破れそうになった。
                          (ルカの福音書 5章4~6節)
                     

ペテロは、どうせ無理だろう、と思いつつ網を下ろした。

そしたら大漁。

この後、漁師であったペテロは主イエスにフルタイムで仕えるものとなる。

人生は同じことの繰り返しではない。

キリストのことばを聞いて、とにかく行動するとき、

それは新しい挑戦の始まり始まり。

 

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私、変わった?

「私、変わったんだ」

と言うならチェックしてみよう。

あなたはなぜ変わらなければならないと思ったのだっけ?

あなたの家柄とか、親の学歴とか、収入とか、誇っていない?

今一番の関心は何?

悪い習慣は減った?

部屋は片付いている?

これまで見過ごしていた尊いものにいくつ気が付いた?

あなたの心のベクトルは、本当のところ、どこに向いている?

 

「私は本当に変わったんだ」

と言える?

 

「それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。『われわれの父はアブラハムだ』という考えを起こしてはいけません。言っておきますが、神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子らを起こすことができるのです。」
ルカの福音書3章8節

※「悔い改め」とは本質的に「生き方の方向転換」へと結びつく心の変化です。

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私が逃げても、捕まえてくださいますか。

病気したり、傷ついたり、勝手に悲しんだり、弱い自分を見る時、

私は、困難を乗り越えられず、道を切り開けず、生きる自信すらない。

そういう状態の私に、イエスさまは言うのだ。

しかし主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と言われました。ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。(2コリント12:9 )

誇れないですよ。

私は身も心も小さくなり、今にもなくなってしないそうです。

私が逃げても、捕まえてくださいますか。

すでに十分であるという、あなたの恵みを見せてくださいますか。

弱いままで前進できると保証してくださいますか。

あなたの力で早くおおってください。わたしを。

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神を「見る」方法。

「ところが、見聞きしているように、あのパウロが、手で造った物は神ではないと言って、エペソだけでなく、アジアのほぼ全域にわたって、大勢の人々を説き伏せ、迷わせてしまいました。」使徒の働き19章26節 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 

話しているのはエペソという町の銀細工職人。彼らは神殿の模型を造って生計を立てていた。そこにキリストの使徒パウロが来て、

「手で造った物は神ではない」

と人々に教えた。

職人たちは怒った。商品を買ってもらえなくなれば商売ができない。

偶像礼拝(神ではないものを神のように崇める行為)は、少なからず利権と絡んでいる良い例だ。

神の本質(変わることのない本来の性質のこと)は、物質にはない。

それは決して目には見えない。つかめず、触れない。

でも、人間は目に見えなければ不安だ。

どうやって、目に見えない本当の神の心に「触れる」ことができるのか。

それは「ことば」によってだ。

「ことば」の力をあなたはよく知っているだろう。こんなブログまで読むのだから。

聖書のことばによって、私たちは神を見る(理解する)。力を与えられ、平安をいただく。

お守りやパワーストーンで「安心」を買っている人には余計なお世話だろうが、本来は「気休め」であることを自覚なさっているならば、ぜひ聖書を読んでほしい。

 

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失った人のために。

あらゆるものを失くす。

過去の祝福は夢のように消え失せたように思えた。

生きていく自信はもはやない。

もはや祈りも無駄だろうか。

いいえ。

それがたとえ自業自得であろうとも、「今さら何を言っている」と、神はあなたの祈りを軽蔑しない。

私たちの主は、神の民の祈りを聞いておられる。

 

「(主は)窮した者の祈りを顧み

彼らの祈りをないがしろにされないからです。」詩篇 102篇17節

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全地は主の恵みで満ちている。

奥多摩にいます。暑いです。

鮮やかな空色と、濃い緑の葉っぱはやはりここならではの組み合わせ。

相変わらず低い山。陽は朝遅く夕方早い。

月曜休みを返上しての研修会。

気は重いが恵みは多い。

 

"主の恵みで地は満ちている。"
詩篇 33篇5節b
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

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食卓だい好き。

 親しい人との食事は、心に蜜

心が開かれれば、味もまた良し。

 主イエスは皆から嫌われている人に声をかけて昼にランチを一緒に食べるというボランティアをしているんじゃない。

 食卓という心開かれる場が大好きだったのだろうね。

 

「それからイエスは、レビの家で食卓に着かれた。取税人たちや罪人たちも大勢、イエスや弟子たちとともに食卓に着いていた。大勢の人々がいて、イエスに従っていたのである。」(マルコの福音書2章15節)

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