ひとつになる。
父なる神から大切な使命を受けたイエスさま。
父なる神とひとつとなって歩む。
地上にいても、父なる神ととても親密、仲が良く、お互いを信頼し切っている。
私たちはそれを知らされた。神とイエスはひとつだ。とても深いところでひとつとなっている。
人間はどうやってひとつになるのだろう。
それは調整と妥協とタイミングの芸術。おそらく様々な不満がくすぶりながら。かたちだけは何とか整える。
教会はどうやってひとつになるのだろう。
イエスが父なる神から遣わされて、愛の関係で結ばれていることにすべてのキリスト教会は同意するだろう。
しかし、神の介入がなければ、個々の教会も、世界の教会もひとつにはならない。
それは教会の祈り、福音宣教の賜物として起こってくれればとねがっているわけで。
"正しい父よ。この世はあなたを知りませんが、わたしはあなたを知っています。また、この人々は、あなたがわたしを遣わされたことを知っています。"
ヨハネの福音書 17章25節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
苦しみから救われるか、苦しみの中で恵まれるか。
見たことのない神を見る。
最初に愛してくださったのは神。私たちではない。
そしてキリストが十字架で私たちの罪にために死なれた時、そこにこそ、神の愛があるとヨハネは言った(10節)。
キリスト者が互いに愛し合うとは、受け取ったその神の愛を、横に流していくこと。
そこには、いざというときの、自己犠牲を含んでいる。
人は愛する者のためには自分をゆずる。たとえ命さえも。
では、別に好きではない人のために、自分の命をゆずることをするか。
それがなされた時、人々は見たことのない神を見ることになる。
"いまだかつて神を見た者はいません。私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにとどまり、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。"
ヨハネの手紙 第一 4章12節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会