もしも、奇跡を行えたなら。
「(愛は)自分の利益を求めない」(1コリント13:5)
もしあなたがキリストのように奇跡を行える力を持ったとしたら、まず何をする?
ハリーポッターのように、空を飛ぶ?
部屋を一瞬で片付ける?
それとも、豪雨の時、鉄砲水をせき止め、川の堤防を支える?それは素晴らしいね。
3つに1つくらいは人のためにその力を使うかな。
でも、イエス・キリストは奇跡の力を、自分のためには一切使っていないんだ。
全部、人のために用いた。
喉が渇いて空から雨を降らせることも、疲れたのでふわふわのベッドを用意することも、十字架から、自分を脱出させることもしなかった。
その力はみんな人の救いのために用いた。
「ほんとかな」と思ったら、福音書を読んでごらん。
愛は自慢しないけど。
「愛は自慢せず、高慢になりません。」(Ⅰコリント13章4節)
自慢したいときは一人で「わたし、よくやったよね」ってしみじみ言おう。
高慢は大切な友人を奪うことがある。
自分をアシストしてくれた人たちに「ありがとう」を伝えて伝えて、必ず伝えて。
牧師
愛は人をねたまない。
「(愛は)人をねたみません」(Iコリント13:4)
あの人の成功
友だちの才能
彼女の幸せ
あなたは自分のことのように喜べますか?
愛は我慢?
「愛は寛容であり、愛は親切です。」(第一コリント13章4節)
今日は教会で1時半から結婚式があります。
式では「愛についての聖書の教え」が朗読されます。それがⅠコリント13章。
愛とは何か?
まず、愛の豊かな人は辛抱強くて、苦しみを耐える人だということ。
例えばあなたが何かの部活の部長だったとする。
その中に困った新入部員がいた。やる気はあるんだけども、準備や片付けやがとても苦手のようだ。
部長のあなたは怒らず、キレず、優しく、何度も教える。
その時のあなたは、我慢強いし、親切だ。愛情深い。(ただし、胃は痛いけど)。
イエスさまもそのように私たちを辛抱強く愛してくださっている。
結婚式、皆さん観に来てください。
白根福音教会の今の会堂で行う初めての結婚式です。
これからバージンロードが敷かれます。
牧師
神さまのところへ来た人
<聖書のことば>
「私は若者たちに、 あなたのじゃまをしてはならないと、 きつく命じておきました。 のどが渇いたら、 水がめのところへ行って、 若者たちの汲んだのを飲みなさい。」
(Ruth 2:9 SHINKAI)
<牧師から>
ボアズさんの畑に来て、落ち穂を拾い集めているルツ。
それは当時、他に働く手段がなく、食べて生きて行くために、人ができる唯一のこと。
そのとき、ボアズさんは、ルツにこんなやさしいことばをかけたんだ。
ある人がこの聖書箇所をこんな風に言った。
「神さまのところに来た人の邪魔をしてはならないのですね」って。
神さまに招かれて、教会にいろんな人が来る。
あなたは、生きるために、つまり神さまを知るために、そこで必要な助けもらうことができる。
教会は決して邪魔をしない。
神さまが用意された「水」(つまり神のことば)を美味しく、時に苦く、飲んで欲しい。
神が降りて来られる時
<聖書の言葉>
Mic. 1:3
見よ。 【主】は御住まいを出、
降りて来て、
地の高い所を踏まれる。
Mic. 1:4
山々は主の足もとに溶け去り、
谷々は裂ける。
ちょうど、 火の前の、 ろうのように。
坂に注がれた水のように。
<コメント>
刑事がガサ入れ(犯罪の現場に踏み込むこと)するように、神さまが来られることがある。
神は、私の高ぶった思いを打ち砕き、間違ったやり方を変えてしまう。
登ろうとしてた頂上は溶けてなくなってしまった。
私は「どうしてこんなになっちゃったのかな。」と思う。
神は、聖書を通して、過ちを悟らせようとする。
読んでいたつもりだったけど、それはカタチだけだったのかもしれない、と私は思った。
牧師