こころパン

聖書と、たわむれる時。

乾いたサンドウィッチ。

一切れのかわいたパンがあって、平和であるのは、  
ごちそうと争いに満ちた家にまさる。”
(Proverbs 17:1 SHINKAI)
 
 
幸せなパンと、豪華でも殺伐とした食卓。
笑いながら食べる焼きそばと、会話のないフレンチフルコース。
 
私は、乾いたサンドウィッチがけっこう好きですが何か。

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1944年8月4日

「【主】をほめ歌え。主はすばらしいことをされた。これを、 全世界に知らせよ。」旧約聖書イザヤ書12章5節)
 
アンネ・フランクの日記は、1944年8月1日で終わっています。
そして、ちょうど73年前の今日1994年8月4日、アンネとその家族8人はゲシュタポドイツ国家秘密警察)によって捕らえられました。一家アウシュビッツに送られ、その後マルゴーとアンネの姉妹はベルゲン=ベンゼル強制収容所に移され、翌年、2〜3月に亡くなりました。唯一生き残ったのは父親一人だけでした。
アンネの日記」は彼女の13から15歳にかけての出来事が書かれています。当時のユダヤ人迫害下における<隠れ家>での生活はもとより、多感な年頃の好き嫌い、親に対する嫌悪感と愛情、怒りなどが書かれています。
アンネが殺されたのは、間違いなくナチズムの罪によるものです。それは間違いありません。同時に、人間の人種差別と残忍さは、かくも恐ろしい虐殺を組織的に行うのです。
神がこの少女を通して何をなそうとされたのか、私にはわかりません。
しかし、その犠牲となった少女の日記は、協力者によって保管され、生還した父親に引き渡され、世界中の人々に読み継がれるものとなったのです。
 
この夏休み、ぜひとも読んでください。
(読む場合には、必ず「増補新訂版」を読むこと。)
 
※参考:アンネ・フランク著、深町眞理子訳『アンネの日記ー増補新訂版』文藝春秋社、2003年

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二重人格

「まことに、あなたのさとしは私の喜び、(神は)私の相談相手です。」(詩篇119篇24節)
 
私は、自分の本当の気持ちを口にしたことがあるだろうか。
本当の自分は、いつものような明るくて、軽薄で、にぎやかな自分ではない。
もう一人の私は、深く物思いに沈んでいる。
けっこう真面目なことも考えているし(そんなこと友だちにはとても言えないけど)、心の奥底に潜んでいる自分のゆがんでいる姿にも嫌気がさしている。
どうしたらこの世界から戦争がなくなるかなんて、私が考えてどうなることでもないのに、気がつくとノートにいろんなことを書いている。
学校では、下品な冗談にも大笑いしている自分がいる。
私は二重人格者だ。
 
神さまに祈ってごらん。なんでも話して、相談してごらん。
その時、どちらの自分が相談しているかな。

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どんな心の私にでも届く声がある。

「(愛は)すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます」(Ⅰコリント13:7)
 
 
私は、すべてに我慢されている。私は耐え忍ばれている。
しかし、私はすべてにおいて信じられている。すべてにおいて期待されている。
それに応えることのできる保証なんか私にはどこにもないのに。
 
愛は、私を急がせず、苛立たせず、追い詰めず、これっぽっちも責めず、重荷を負わせない。
しかし、何かを始めさせる力、やめさせる力、植える力、引き抜く力、達成させる力、諦めさせる力がそこにある。
 
成長するとか、前に進むとか、そういうことがとにかくダルくなった時でも、私の心に届く声がそこにある。
 
あまりうまく言えない。

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真理を喜ぶ。

「(愛は)不正を喜ばずに真理を喜びます。」(Ⅰコリント13:6)
 
心から何でも話せる親友が、
もし、悪いことに手を染めているとしたらあなたはどうする?
もし、人を見下すような、ちょっとイヤな奴になって来たらあなたはどうする?
 
驚き、悲しみ、そしてその親友を悪いことから「取り戻したい」と思うだろうか。
「目をさませよ!」と、絶交されることを覚悟で忠告するだろうか。
 
その親友がもとに戻った時、あなたは共に真理を喜ぶ者となります。
あなたは悪いものを退けて、良いものを取り戻したのです。

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思い出さないで。

「(愛は)人のした悪を思わない。」(Ⅰコリント13:5)
 
 
人は自分が行った良いことはいつまでも心に残っているもんだ。
時々しみじみ思い出して「私っていい人だなあ」なんて味わったりする。
でも、自分が犯した失敗や過ちは、いつまでも覚えておいて欲しくないね。
「忘れて、早く」と思うもの。
 
「(愛は)人のした悪を思わない。」とは、人が犯した悪や過ちを「思い出さない、記録に残さない」ということ。
いつまでも覚えていて「だいたいあなたはあの時…」とは決してやらない。
愛は、人のした悪を思い出していつまでも責めることはない。
 
神は私たちの罪を記録に残さない。
その記録は全てキリストに付け替えられた。
そしてその非難と刑罰を代わりに受けてくださった。

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人は怒る、でも…。

「(愛は)怒らず」(Ⅰコリント13:5)
 
犯罪を犯した者が不当な権力で不起訴になれば、誰でも怒りを覚える。
偉い人と友達だっただけで得をすれば、それは不公平だと怒る。
「いじめ」で人が死ねば、その度に怒りを覚える。
 
しかし、神はその怒りを別の力に変えることをされる。
憎しみを増幅させるのではなく、分派分裂を引き起こすのでもなく、
真実を愛し求め、過ちを明らかにして、やり直しの機会を与え、全体が回復していくような力に変えられる。
愛は怒ったままで行動しない。

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