こころパン

聖書と、たわむれる時。

自由に、自分から進んで。

“しかし、 御霊の実は、 愛、 喜び、 平安、 寛容、 親切、 善意、 誠実、柔和、自制です。 このようなものを禁ずる律法はありません。”
(Galatians 5:22–23 SHINKAI)
 
私の愛や喜びにはこんな動機が混じっていることがある。
 
愛ある行動をする人は、人々から尊敬されるので、私は愛を表す。
皆に気を使って私も喜ぶ。
誰とも関わりを持たないときに、私には平安がある。
私が寛容なのは、自分の考えがないからだとバレるのが怖い。
賞賛という褒美を狙って、私は人に親切をする。
悪意には制裁があるので、私は善意を表す。
強制力があって、私はやっと誠実になる。
柔和に人と接すれば、人格者だと言われる。
自制はストレスだが、私は自制を働かせる。
 
欲しいもの。
誰にも命令されず、それは校則にも法律にも命令されず、
親からも、教師からも強制されず、
罰が怖いので仕方なくでもなく、
私は自由に、自分の意思で、御霊の力によって、これを行う者となりたい。
自分から進んで、神を喜ばせたいと願いつつ、この聖霊によって歩む。
 
そうのようになりたいのなら、人はキリストのもとに来て、彼の助けを借りなければなりません。

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私のほんとうの笑顔

わがたましいよ。なぜ、 おまえはうなだれているのか。
なぜ、 私の前で思い乱れているのか。 
神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。 
私の顔の救い、 私の神を。”
(Psalms 42:11 SHINKAI)
 
 
昨夜の「しゃべくり」で、人生のポジティブ感、ネガティブ感は顔に出ると言っていた。
そう、実は「救い」は顔に出る。
「私の顔の救い」って言っているだろう?
 
あなたは今どんな顔をしてるかな。
心が乱れているかもしれない。
何も喜びがわいてこない日々かもしれない
まさに「救われない顔」かもしれない。
 
自分の心に呼びかけてみよう。
「何やってんだよ、何をパニクっているんだよ。
作り笑いなんかやめて、神を賛美しようよ。
神さまの救いはもう来ている。
待ち望め。私のほんとうの笑顔を」
 
写真:2017夏の思い出、自分たちの写真を出すのはどうかと思うが。

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「憎しみ」という剣

“そのとき、イエスは彼に言われた。「剣をもとに納めなさい。 剣を取る者はみな剣で滅びます。”
(Matthew 26:52 SHINKAI)
 
 
今、一番聞くべき言葉かもしれませんね。
武器を取って戦うなら、結局、その武器によって自らも滅びることになる。
 
あんなにひどいことを言うのだから、少し懲らしめたほうがいい。
やられてしまうより先に、やっつけてしまえばいい。
 
しかし、戦争に勝者はありません。
身体が損なわれ、心が切り裂かれるのは私たちです。
 
私たちは、屈辱や恐怖心が生む「憎しみ」の剣を、もとに納めなければなりません。

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退屈のない世界。

“善を行うのに飽いてはいけません。 失望せずにいれば、 時期が来て、 刈り取ることになります。”
(Galatians 6:9 SHINKAI)
 
いつものと同じような毎日、学校、教会。
感動がない、あーあ、退屈。
 
そう思ってしまう時、それはとっても大切なことを忘れかけている証拠。
 
それを救うのは、キリストの愛。
 
キリストはあなたのいのちのために、
神の子なのに、望まれないでこの世に生まれ、
本当の自分を理解してもらえないことを知っていて、仲間と過ごし、
誤解されて、がっかりされて、軽蔑された。
 
良いことだけしたのに「のけ者」にされ、
悪いことは何もしていないのに「罰せられ」、
大切な人たちに裏切られた。
 
キリストが十字架でいのちをささげたのは、私たちが本当のいのちに生きるため。
あなたへの罰をぜんぶかぶって、あなたを新しいいのちに生かすため。
心も考え方も喜びも、新しくするため。
 
それが知らされれば、退屈なんて、世界にはない。
 
写真:夏の思い出2017「吹奏楽の青春」

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聖なる片思い

“私たちが神を愛したのではなく、 神が私たちを愛し、 私たちの罪のために、 なだめの供え物としての御子を遣わされました。 ここに愛があるのです。”
(1 John 4:10 SHINKAI)
 
片思いの切なさ、私はもう忘れている。しかし、思い出してみる。
しっかり思い出す。
遠くから見るしかない。
近づいても話しかけられない。
軽くあしらわれる。
私はこんなに注目しているのに、あなたはこっちを見てくれない。
今で言えばストーカーかも。
 
神さまも同じ。
私には神さまが見えない。
しかし神さまはいつも私を見てくれている。私を守り、励ます。
しかし私は気がつかない。
偉大な、聖なる片思い。
私が先に愛したのではない。私が選んだのではない。
神が先に愛してくださり、私を選んだ。
 
写真:夏の思い出3「島猫」

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こわしてください。

“【主】は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、 霊の砕かれた者を救われる。”
(Psalms 34:18 SHINKAI)
 
「私は間違っていないよ」と言いながら、心の奥でもう一人の「あやしいじぶん」がじっと私を見つめている。
わかりながら、「正しい」と主張することをやめない。
押し通せば勝ちだと思っている。
 
いちど壊れてしまえ、私のこころ。
壊してください、私のこころ。
 
写真:夏2017「江ノ島

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私にあるものをあげよう。

“金銀は私にはない。 しかし、 私にあるものを上げよう。 ナザレのイエス・キリストの名によって、 歩きなさい」”
(Acts 3:6 SHINKAI)
 
お金がなくても、持っているものがあります。
それは見えない、さわれない、つかめないけど、確かに持っています。
 
それは、イエス・キリストへの信頼、または関心、興味。
 
エスさまへの「信頼」は、友人にプレゼントすることもできます。
それは何度でも立ち上がって歩き出す力です。
あなたも立ち上がり、友だちも一緒に立ち上がります。
 
写真:夏の思い出1

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